【3・11 東日本大震災福島原発事故特集】
小野寺信一弁護士との対談の全文/2
- -仙台オンブズマンの話-
- -空出張の追求-
- -公共事業のむだ-
- -「神話はなぜ生まれる?」-
- -失敗から学ばない-
- -否定情報の排除-
- -「想定外」とは何か-
- -危機に対応できるリーダーの欠如-
- -失敗からどれだけ深く学ぶか-
- -情報公開を求める-
- -被害者の法的救済-
- -国際連帯と現地調査-
- -安全神話をうち破る-
-仙台オンブズマンの話-
ここで少し回り道なんですが、オンブズマンの話をさせていただきたいと思います。仙台市民オンブズマンは平成5(1993)年にできました。覚えている方がおられるかどうかはわかりませんが、仙台市長と宮城県知事が同じ年に捕まってしまうという、例のゼネコン汚職があった。その年に発足をしました。その2年後に食糧費による官官接待によるものに私たちはぶつかりまして、それが契機になってオンブズマン活動があちこちに広がっていった。全国的な広がりも見せて全国市民オンブズマン連絡会議というものができて、毎年集まっていろいろなことをやっているわけですね。
最初は食糧費による官官接待だったのですが、そのうちカラ出張をやり、それから談合の問題をやり、むだな公共事業をやり、議会の政務調査費などをやり、警察の犯罪捜査報償費を追求するとか、いろんな形で広がっていったのですが、私はやっていく中でどうしても不思議で仕方がなかったことが2つあるんです。それはどういうことかと言うと、官官接待のときには、これはもう絶対空飲み食いだというふうに確信しましたので、担当者を住民訴訟で訴えたわけです。当時は今の住民訴訟と違って、直接担当者を被告にできたんですね。今は知事を訴えて、知事に請求しろという間接的な請求形態なのですが、当時は直接担当者を被告にして訴えられたので、現場の職員を被告にしたんですね。
その裁判がある程度進んだときに、宮城県に浅野知事という知事が誕生して、彼はその問題を正面から受け止めて内部調査をして、実は裁判をやっている対象の飲み食いも含めて不正がありました、ごめんなさいということで謝ってしまったんですね。それを受けて住民訴訟の被告がどんな答弁を出してくるのかなということで興味津々で待っていたのです。そうしたら、宮城県庁には古くから予算を使い切らなければいけない、使い切るためにはそういった操作をしてお金をホテルに投げておくという悪しき慣習があった、一線の職員は、その悪しき慣習に逆らうことは困難である。従って、個人の責任はないという答弁を出してきたんですね。私はそれを見て、ふざけるなというふうには思いました。だけども、よくよく考えると、案外そうかもしれないと。町内会の会費を預かって猫ばばする職員っているだろうか。いないんじゃないか。にもかかわらず桁が3つも4つも上の金額を、どうして集団になると平気でやってしまうのか。慣習に逆らえないというのは本当のことなんじゃないか、裁判所ではもちろんそういう反論は通りませんけれども、そうなんじゃないかと。じゃあ、その悪しき慣習というのは一体何だろうというふうに考えたんです。
-空出張の追求-
官官接待が宮城県で火を吹いたのは平成7(1995)年2月なんです。その後、僕らはカラ出張に入っていった。それで、平成7(1995)年2月の石巻土木事務所のカラ出張を突き止めて、カラ出張を追及していったんですね。本庁の財政課で官官接待で我々に追及されて、連日、河北新報に書きたてられているのに、同じ県庁の職員である土木事務所の職員がどうしてカラ出張ができるんだろうか。本庁と土木事務所という違い、それから食糧費と官官接待と交通費の不正という違いはあるのですけれども、同じ組織の不正が毎日新聞に書きたてられているのに、どんな神経で空出張をやれたんだろうかということが不思議だったんですね。
それから、平成7年の秋から暮れにかけて、北海道、秋田でカラ出張が大問題になるんです。しかし、福島の職員はその当時、せっせとカラ出張をやっていたのですね。それは後の内部調査で明らかになってくる。そうすると、他人のふり見て我がふり直せとか、他山の石とか、そういうのはもう全く通用しない。ともかくもう火が燃えてきて、軒先が焦げるまで動かない。あるいは頭の上から水をかけられるまで自分でやめようとしない。これは一体何なんだろうという深刻な疑問にとりつかれました。
-公共事業のむだ-
もう一つは、公共事業なんです。2000年に最高裁で上告が棄却されましたけれども、私たちは仙台の地下鉄東西線の差し止め訴訟に5年くらい必死になってとりくみました。各地の地下鉄に全部調査に行って調べてきましたが、結局、どの地下鉄も最初の予測が甘くて、結局乗る人は予測の半分とか、建設費だけはどんどん上がっていって、ダブルパンチで大変な目に遭っているんですね。どこの地下鉄もほとんど例外なくです。仙台も、実は東西線の前に南北線というのがあって、これが半分くらいしか乗らないために一般財政からもう1千億円以上のお金が既につぎ込まれている。それを知りつつ、東西線で過剰な予測のもとに地下鉄工事が進められようとしている。なんでこんなバカバカしいことがずっと続くんだろうと思いました。
その中で気がついたのは、予想が狂っても誰も責任を取らなくて済むという単純な事実です。責任を取るべき人は工事が終了した時は辞めてしまっていていないんです。責任を取らなくていい。責任を取らなくていいから原因を究明する必要もない、原因を究明しないから同じことが繰り返させる、この無責任循環体制ですね。結局、開業初日の結果を見るまでは、地下鉄東西線であれば11万9,000人が乗るという神話を皆さんが信じ続けているわけですよ。カラ出張とか官官接待で言えば、予算の使い残しを避けるためには不正行為もいとわないという神話も、頭から水をかけられるまではそれを手放さないようにしようとする。
-「神話はなぜ生まれる?」-
じゃ、この神話というのは一体何なんだろうというふうに考えました。これは私の考えなんですが、私は3つあるというふうに思っているんです。1つは神話が破られないだろうという安心感があるんじゃないか。よもや財政課の食糧費を市民団体が情報公開を使って追及して暴き出すだろうということはないだろうという安心感、それからおかしいと思っても自分から手を挙げた場合に仲間はずれにされるという恐怖感。よしんば追及されて明るみに出ても自分一人がやっているわけじゃなくて、みんながやっているのだから、自分一人が責任を取らせることはないという安心感。安心感と孤立への恐怖感、そして既得権。この3つなのではないかというふうに思うんです。
この安心感なり孤立への恐れ、それから打算、既得権というものは、いつ始まったんだろうかというふうに考えてみたんです。いろいろ調べてみるとやっぱり戦前の日本の組織、とりわけ日本の陸軍とか海軍の組織の中にそれを見つけることができる。そうすると、これはずいぶん根深いものがあるのではないかということがわかってくるわけです。
-失敗から学ばない-
例えば神話の一つに、ここに挙げましたように失敗から学ばないというものがあるんです。第二次世界大戦の前にソ連とぶつかったノモンハン事件という戦争がありましたね。あれで日本の帝国陸軍は、これからの戦争は戦車や銃砲だ、歩兵ではないということを学んだはずなんですが、しかしそこから学んだものを何も生かさないまま第二次世界大戦に突入していきました。物流の不足を精神主義でカバーするという神話にとりつかれたまま第二次世界大戦に入っていったんです。アメリカ軍は、1942年の末ごろまでにガダルカナルの経験で、日本軍を攻撃するときには何が効果的で何がよろしくないかということを、海兵隊の過ちから十分学んで次の作戦に生かしていったわけですが、日本は、正面からの一斉攻撃という日露戦争以来の神話をずっと守り続けてきて、あんな結果になった。
スリーマイル島事故も、さっき申し上げましたように原因を人為ミスに矮小化し、チェルノブイリの事故も炉が違うのだから日本では起こらないと矮小化する。日本特有の事情で格納の容器が壊れることがあるのではないかというふうには思わないんですね。交通事故だって飛行機の事故だって、全く同じ事故というのはないですよね。どこか違うわけです。つまり正面から教訓をくみ取ろうとしない。原発もそうですね。近いところでは2007年7月に新潟沖の中越沖地震というのがありました。これはマグニチュード6.8で原発と震源地は10キロしか離れていない。柏崎の刈羽原発も震度7の強い揺れに襲われました。震度7というと今回の仙台の揺れに近い揺れです。3号機で変圧器が火災した。しかし、変圧器の火災なんていうことも全く考えてなかったので化学消火剤もないし、化学消防車もない。しようがないから柏崎市の消防署に電話したけれども、消防車が渋滞でなかなか来れなくて消火に2時間かかった。もし変圧器がこのまま火事になってしまえば、あれは外部電源の窓口ですから、外部電源喪失ということが起き、しかも陥没でかなりやられていましたので、ディーゼルエンジンが本当に動くかということもわからなかったんですね。寸前のところで外部電源の一部が生きていて大事故には発展しなかったのです。火事で外部電源が喪失するということであれば、水で喪失することだってあるんじゃないかというふうには考えないんですね。
-否定情報の排除-
2番目は否定情報の排除ということだと思います。食糧費の不正使用のときも、あるいはカラ出張のときもそうなんですが、疑問を持っている人というのは中にはいるんだろうと思うんですが、やめようじゃないか、こんなこといつまでもやっていられないからやめようじゃないか、本庁ではああいうことで追及されているのだから、石巻の土木事務所ではもう今年からカラ出張を止めようじゃないかということがなかなか言い出せないんですね。警察のような組織の場合は、そういうことを言い出すだけじゃなくて、不正行為の指示を拒否しただけでもう左遷させられるという締め付けを受けます。本来、組織というのはその環境に適応するためには主体的に変化しなければいけないので、その中に不均衡状態をあえてつくっておく必要がある。例えば安全神話に疑問を持つような社員をあえて置いて、そいつの言うことにトップは常に耳を傾けるといった組織でなければ主体的な変革はできないのですけれども、日本の場合は組織の中にそういうものを置くということを徹底的に嫌う、それだけではなくて組織の外についてもそれを攻撃する。
原発訴訟でお世話になった立命館大学の安斎育郎先生がこのところ週刊誌の中で、安斎番という監視人が自分のそばについていたとふりかえっています。彼は、東大の放射線医学の一期生で非常に優秀な人だったのですが、結局原発に反対したために助手以上になれなくて立命館大学に行ったのですが、東大の助手時代、東電から送り込まれてくる社員が彼の監視人だったということを週刊誌で述べていました。外部の人間を徹底的にパージして、そしてアウトサイダーのノイズとして神話を傷つけまいとするということなんですね。否定情報を排除するということは、裏を返せば情報の非公開にもつながるわけです。情報を公開すれば外部の批判を招くわけですから、外部の批判を招かないようにするためには情報を非公開にするということになるんです。そうすると、後で貴重な情報があったということに気がついても、もう事故が起きてしまった後はどうしようもないんです。
-「想定外」とは何か-
今回、2つ3つ貴重な情報を持ってきましたので、資料3を見ていただきたいと思います。これは郷土史研究家が過去にあった巨大津波をずっと調べていて、大津波が170年から180年ごとに起きる、巨大津波が仙台平野を襲ったということで平成7年に本を書いています。彼は、仙台市や宮城県にも仙台平野で津波が起きると。津波と言えば三陸沿岸ということだったのですが、この人は貞観津波や江戸時代の津波の痕跡、言い伝えなどを丹念に拾って、仙台平野でもあるんだということを本に出しました。しかし、河北新報の書評ですとユニークな説を展開していると言っているんですね。この本を買って読みましたけれども、全くこの人の言ったとおりのところに地震が起きている。ですから、誰も言っていないというなら想定外ですけれども、こういうふうに言っている人がいるんです。しかし、取り上げなかったんですね
資料4は平成17(2005)年2月23日に、今、地震で有名な神戸大学の石橋先生が衆議院の予算委員会で述べているところなんです。これは非常に重要なことを述べているので後で読んでいただきたいと思うのですが、簡単に言えば今までの日本は地震の静穏期だったと。敗戦後の目覚ましい復興というのは、たまたま静穏期に巡り合わせただけなんだ。現在、日本列島はほぼ全域で大地震の活動期に入っている。活動期に入ったときにどうなんだということで、3ページ、4ページあたりでいろいろそのことを書いています。特に、5ページに原子力発電所のことが書いてあります。日本の場合は53件の原子炉が今ある。地震というのは、原子力発電所にとって一番恐ろしい外的要因だと。下から6行目ぐらいに、地震の場合は複数の要因の故障といって、いろいろなところで振動でやられるわけですから、それらが複合して多重防護システムが働かなくなるとか、安全装置が働かなくなるとかで、それが最悪の場合にはシビアアクシデント、過酷事故という、炉心溶融とか核暴走ということにつながりかねないと、今の福島原発を予言したようなことを言っています。
6ページでは、浜岡原発が大事故を起こした場合どうなるかということで、新幹線の脱線、転覆、建物の崩壊、そこに追い打ちをかけるように放射能が降ってくるとなると、もう本当にとんでもないことになるのだということを書いていて、最後のほうには首都の喪失、国土の喪失、日本の衰亡というところまで言っているんですね。
ちょっと話がずれますが、ぜひ皆さんにお伝えしておきたいのは食料の備蓄なんです。仙台は、11日の震災の次の日、店頭から食料が全部消えました。仙台は100万都市ですが、仙台のあの程度の規模でも結局、輸送ルートが完全に動いて初めて我々が餓死しないで暮らしているのですね。車が動かなくなる、船が動かなくなるということになってしまうと、お店のある食料と家にある食材だけだと、もう2~3日くらいしか持たないんじゃないかというふうに思うんです。仮に東京だと外からの輸送ルートが壊滅してしまうと、これだけの規模の人を養っていく食料、水というのは何日ぐらいあるんでしょうか。おそらく1週間も持たないんじゃないかというふうに思うんです。原発の事故になれば、なおのこと救援ができなくなるし、外国からの救援もほとんど不可能になってしまいます。最低1週間分の水、携帯用のコンロ、ご飯、缶詰など、それから明かり、山に行くときの頭にかけるもの、これはとても役に立ちました。普段は首にぶらさげておいて夜になると上げてかける。ろうそくも。私が18日に大島に行ったときは、大きな太いろうそくを立ててみんなで食事をしていましたけれども、どこから持ってきたんだと言ったらお寺からもらってきたと。1週間くらいは最低生き延びられるくらいの食料や水は備えておかないと、餓死するという危険性もあるんじゃないかと。
そういうことで、既にそういう本質を突いた意見はあるにはあったんです。しかし、神話に毒されている我々が、それをアウトサイダーのノイズとして真剣に考えてこなかった、ということなんだろうというふうに思うんです。
-危機に対応できるリーダーの欠如-
それから3番目が危機に対応できるリーダーの欠如、それから情報の非公開ということがあると思います。さっき言ったように、内部に不均衡状態をつくらないわけですから、神話を否定するアウトサイダーとの論争に勝つという厳しさを体験しないでトップになってしまう。あるいは失敗すれば責任を取らされるという厳しさも体験しないでトップになってしまう。太平洋戦争のときも同じです。高木さんという人の『太平洋海戦史』という本の中にこう書いてあるんですね。「彼らは」というのは陸軍、海軍のトップです。大将とか中将ですね。上級者になるに従い反駁する人もなく、批判する人もなく、批判を受ける機会もなく、指揮上のご神体となり、権威の偶像となって温室のうちに保護された。僕は、東電のトップ、とりわけ経産省から天下ってきた役員もそうだったのではないかというふうに思うんです。
先だって、仙台で開かれた日本科学者会議の講演会で福島の共産党の県会議員の方が言っていたのですが、彼らは地元の住民団体と一緒になって何度も津波の危険性について、地元の東電の人たちに要請書を出していたらしいんです。それを私どもも見せてもらいました。今回のようなシナリオのところまでは言っていないのですが、彼らが一番恐れたのは津波のときの引き波によって冷却水を確保できなくなってしまうのではないか。それによって冷却不能が起きるのではないかということを、とても心配して要請書を出していました。たまたまその県会議員が避難先で東電の副社長と会って、俺たちはこんなことを出していたんだと。なんであなた方は真剣に取り上げなかったんだと言ったら、こういうのを見たこともないというふうに言ってたというんです。僕は、見たこともないというのはあり得るんだろうというふうに思うんです。
その話を聞いて過去のことを思い出したのですが、私たちは三菱マテリアルが経営していた宮城県北部の細倉鉱山の元労働者のじん肺訴訟を何年かやって、和解で解決したのですけれども、終盤で裁判所から和解案が出されたのですが、既にあの段階では各地のじん肺訴訟をずっと勝ちまくって、一定の解決レベルが大体もう出ていたのですのね。その解決レベルからすると、裁判所の和解案というのは会社にとっても悪くはない。もし判決になれば、弁護士費用とか損害金が加算されるので相当多額になることがわかっているにもかかわらず、三菱マテリアルの代理人はその和解案を拒否してきたのです。私たちは、その前に三菱マテリアルの株を買っていた仙台市民オンブズマンのメンバーに頼んで取締役会の議事録の開示請求の訴訟を起こすと同時に、39名の取締役個人の自宅にオンブズマンの個人から内容証明を出したのです。ただいま裁判所でこういう和解が出されていると。あなたが知っているのかと。もし仮にその和解案を拒否して、裁判所が判決を出して、その判決を確定したら、その差額の分について株主代表訴訟を起こすからそのつもりでいてくれという内容証明を出してもらったのです。それが効いたのかどうかわかりませんけれども、和解が成立しました。
その中でわかったことは、じん肺が起きて裁判になっているという過去の不始末に関することは担当役員と弁護士の問題であって、取締役会に一々上がってこないんですね。取締役会の議事録を見ると、三菱マテリアルの今後の営業政策はこうだとかああだとか、そういうことはいっぱい載っているのですが、じん肺訴訟で裁判所から和解案が出されたけれども、のむべきかのまざるべきかということは載っていない。三菱マテリアルにしてみればはっきり言ってどうだっていいことなんですね。しかし、裁判の中では、なぜじん肺が起きたのか、どうすればじん肺が防げるかという非常に貴重なことがいっぱい展開されているのですが、それがちっとも取締役に上がってこないんです。労務担当、あるいは弁護士の問題に格下げされているのです。
ですから、原発も同じなんです。トップはぽうっとしている。だから、そういうトップですからリアルな判断ができなくて、こういう危機に遭遇すると事実と願望を混同して願望に引きずられた手を打つから次々に後手に回ってしまう。結局、部下が迎合してトップからリアルな判断を奪い、トップも部下もそのことに気付かないという現象が大企業とか官僚の中にある。中間には優秀な人がいても、上に行くほどダメになるという現象は、そういうことなのではないか。そうすると結局は、各人それぞれ自分にとって目の前のリスクを回避するということを優先するものですから、根本的な改善策が出せない。それが次の組織的計画的遂行の不能というところにつながるわけです。
第二次世界大戦のときも大本営というのがありましたよね。しかし、いろいろな本を読むと結局海軍は海軍、陸軍は陸軍で自分たちが組織を守ろうとして、その間の調整を大本営が組織的計画的に行えない、人的な調整でお茶を濁すということで終始している。例えば追い詰められていった沖縄戦なども、物の本によると米軍の本土上陸を引き延ばすための持久戦でいくのか、あるいは航空決戦を挑むのかというのは最後の最後まで決まらないまま米軍が上陸してしまって、ああいっためちゃめちゃな状態になってしまった。じゃあ、何が方針を最終的に決定するのかと言えば、空気だというんです。例えば、ビルマのインパール作戦という大失敗した作戦なんかは、牟田口中将という方が必勝の信念を披露して、補佐すべき幕僚は何を言っても無理だという空気、これによって開始されたと。最初の段階でグランドデザインとか原理原則を相互に確認して、これで行こうというようなことがないまま進んでしまう。
福島第一原発も同じです。まず東電がありますよね。それから民主党政権がありますね。経産省のもとには原子力安全・保安院があって、文科省の下のは原子力開発機構がある。内閣府の下には原子力委員会と原子力安全委員会がある。東電もその本部と吉田所長率いる現場がある。例えば、注水の判断は誰がするのか、誰の責任なのか。注水が失敗したのは誰の責任なのかということを、組織的計画的にあらかじめ決めておかない。スピーディーという百億単位の予測装置の結果を情報公開するのか、しないのかの決定者をあらかじめ決めてない。つまり組織的原則的な合意があらかじめなされてない。
ですから、注水についても、結局政府の空気を読んで東電のトップは中止の判断をしたけれども、現場はそれに従わなかった。今になって総理大臣のほうはそれでいいんだということなんですが、班目さんという安全審査委員会の委員長は、それを聞いて、私は一体何だったのかと。まさにそのとおりで、なんであなたが注水の判断をするのかということを私は聞きたくなるわけです。あなたが余計なことを言ったからどうだこうだという以前に、班目さんが決めるのか吉田所長が決めるのか、政府が決めるのかということを、なんであらかじめ決めておかないんだというふうに言いたいわけです。結局、こういった状態になると責任がまさに不明確であって、それがお互いにとって都合がいいんではないかというふうにすら思うんです。しかし、それが一番まずいのは、誰のせいでこうなったのかということが決まらないものですから、教訓として何も残らないんです。さっき私が言った公共事業と全く同じ状態になっていくわけです。
-失敗からどれだけ深く学ぶか-
少しまとめてみたいのですけれども、失敗からどれだけ深く学ぶのかということが次の失敗を避けるための唯一の手段だということであれば、深く学んだ結果、原発を全部やめるんだという判断だってあり得るわけです。しかし、我々の中に神話が根強くあるものですから、なかなか神話を突き崩して学習を進めるというのは大変だろうというふうに思います。これで収束すれば東電なり電力会社は、ありとあらゆる手段を使って神話の復活をするであろうし、おそらく津波と電源喪失に限定した対策で乗り切ろうとすると思うんですね。東電がこれからどこまで情報公開を出すのか、マスコミがどこまでそれを追及するのか、各地の原発がどうだったのかという、そういったことをどこまで表に出せるのかということが、これからつくるであろう政府の安全指針に反映するし、地元自治体の対応にもつながってくると思うんです。
私は、スリーマイル島の調査委員会の報告書が日本に来て、科学者のシンポジウムをやったときの記録を読んだときに、ハインリッヒの法則というのをそこで知ったのです。今は医療事故なんかでいろいろ取り上げられていますけれども、私はそのときに知って300対29対1、大事故の背後にはもう一歩で大事故につながるものは29あり、そのさらに背後には事故の卵が300あるということをそこで知ったわけです。今、まさに福島原発は29なのか1なのかという境界線上にあるわけですが、我々が福島原発からどこまで深く学ぶかが原発事故の再発のみならず日本の将来にとって決定的な意味を持つんだろうというふうに思うんです。
-情報公開を求める-
これからじゃあ具体的にどうしていくのかというところは、ちょっと皆さんとまた相談したいのですが、まず仙台の弁護士は今、地元の原発の安全対策を地元の人間が情報公開の方向でチェックするということをしようじゃないかということを合意して、この運動を広げていこうと思っています。既に私の名前で、あの日、女川原発で何が起きたのか、女川原発に関して宮城県に寄せられたすべての情報を情報公開請求していますので、これが6月13日に開示される予定です。オンブズマンは本来、お金の問題を追及するのですが、やはり情報公開に熟達しているという点では、我々の技術を今回使わない手はないだろうということで、北海道東北ネットワークで同じ方法で自治体と原発との情報のやりとりを公開しようと。これをできれば全国に広げていきたいというふうに思っています。地元の人間が地元の原発について、もっともっと知る。それを情報公開という方法で知って、自治体の生ぬるい姿勢を変えていくというところが一番大事なのではないかというふうに思っています。
自治体は皆さんご承知のとおり、国が新たな安全指針をつくってくれて、各原発がそれを乗り越えさえすればそれでオッケーという、本当に国頼りというか、国頼みの姿勢から抜けきっていません。福島の佐藤栄佐久知事なんかは、みずからそれをチェックしようとして、一説によるとああいった刑事事件で追放されたと言われていますけれども、でもそれをやらなければいけないですね。さすがに各原発、地元の自治体が絶対ノーだという場合に、それを押し切ってまで再開できるということではないので、ここが一つ戦いの場になるのではないかというふうに思っております。
-被害者の法的救済-
それから今避難している人たち、この方々は本当にお気の毒なんですが、この方々の法的な救済を、これは仙台や福島の弁護士たちだけではとても手に余るので、これはぜひ東京のたくさんの弁護士の方々に救済活動に参加していただけないだろうかと。彼らは結局、いつまで避難しているのかわかりませんし、故郷に戻れない場合、その被害というのはどういう被害なんだろう。どういうふうに積算していくんだろうということも新たな課題としてあるわけです。それから、被害を立証する資料というのも持ってきていない場合もあるわけで、法的な厳密な立証ということになると、立証手段がないわけですね。それから、避難している方々が原発の危険性を身をもって訴えるという、戦いの主体になってほしいというふうに思っています。救援を受けつつ自分たちをこのようにした原因はそもそも何だったんだということを、彼らが中心になって追及していく、そういう動きをつくっていかなければいけないだろうと。これは仙台、福島だけではとてもできないので、ぜひ東京の弁護士の先生方のご助力をいただきたいというふうに思っております。
それから日弁連に原発調査をぜひ実行してもらいたいと思っています。やはり日弁連の力、あるいは対社会的な信用力というものがありますので、日弁連が各原発に調査に入って問題点を指摘する。今、事務総長が海渡さんで原発訴訟をやっていたスペシャリストですので、ぜひそういうふうにしていただきたい。それは結局、さっき僕が申し上げましたように、地元の弁護士が地元の原発を追及する、あるいは避難している被害者を救済するという運動の中で、日弁連も腰を上げるのではないかというふうに思っているのですね。
-国際連帯と現地調査-
国際連帯もやっぱり一つのキーワードになる。さっき言った日本の神話を脱却させるためには、日本の中だけで動いたのではいけないし、やはり今回の問題は国際的な反響も極めて大きいので、国際連帯をしながら日本の電力会社の考えを変えていく必要があるのではないかと思っております。今日、午後に内閣不信任案がどうなったのかわかりませんけれども、我々からしてみると、そんなことをやっている場合じゃないだろうと。非常に特徴的なのは被災地に国会議員の調査がないんです。本当に来ていないのです。地元の国会議員はもうしゃかりきになって動いています。しかし、九州とか四国の国会議員が現地に入ってきているという話を聞くということはないので、結局は東北の問題というふうに考えているのではないでしょうか。政府の担当者たちはたびたび来ていますけれども、国会議員が本当はわんさか来て、我々の話を聞いてもらう必要があるんですね。
気仙沼は、何とかかんとか自衛隊の救援物資なんかも行き渡って、生存するに必要なものは大体満たされてくるようになりました。私が最初に行ったときは、本当にお米もないし水もないという状態だったのですが、それはもう脱却しましたけれども、産業をどうやって復興するのか。水産加工業を復興させたくても、その部分はもう水浸しになって多額のお金を投入して基盤整備をしないと、とても工場を建てられない。そのお金は一体誰が出すんだ、それから生活支援金だってまだ出てないでしょう。あれは予算が通ったのかどうかわかりませんけれども、我々法律相談で100万円出ますよ、家を直せばさらにこれだけ出ますよと言っていても、いつ出るんですかと言われても答えようがないですね。そういう点では、今の管政権がスピードがないという点では全くそのとおりなのですが、しかし谷垣さんがやればうまくいくのかというと、そういう問題でもないんですよね。にもかかわらず今、国会ではああいったことをやっていて、総理大臣をかえればうまくいくというのも私は神話ではないかというふうに思うんですね。
-安全神話をうち破る-
そんなことで、そろそろ話を終わりたいと思いますが、私が今日申し上げたかったのは今も問題になっている安全神話というのは非常に根深いものがあって、それは我々の心理的な要因だけではなくて既得権、利害というものと大きくかかわっている。福島原発がもうこのまま収束することを本当に心から願ってはいるのですが、収束すればしたで安全神話が復活して福島原発事故の持っている本質的な意味を脇に追いやられてしまって、その結果、第二の事故が起きてしまうのではないか。そうなると、さっき石橋さんが言っているように、本当に国家の滅亡ということすらあり得るんだろうと思うんです。
私は今回、大島に行って水道もないし電気もないので、水は井戸をもう一回掘り起こしました。何十年も使っていない井戸だったのですが、4回くみかえたら、本当にきれいな水が出てくるようになって、それでポリタンクに載せて一輪車で運びました。それからプロパンガスだったので煮炊きはできたのですが、お風呂が沸かせなかったので、拾ってきたドラム缶を切って流れてきた材木を薪割りして、火を燃やしてお湯を沸かして両親の体を拭いたんです。その火を見ながら、これでいいんじゃないかという、この生活でだめなのかなという疑問がわいてきました。今まで一体何だったんだろうという気もしたんです。安心して健康で暮らせるのならこれで十分なんじゃないかなという、そういう気もしたんですね。いつ原発が事故を起こすのかとハラハラした状態で、ぜいたくな生活をするよりは安心して暮らすことを優先すべきではないか。だって明治時代までは原発がなくても人類は生きてきて、それなりの幸せも味わって一生を終えてきたわけですからね。電気という神話にとりつかれたために、我々だけじゃなくて将来の人類、将来の日本の国民の幸せを一挙に奪ってしまうということは、どう考えてもおかしいことではないかなと。
しかし、我々が今頑張れば、それを取り除くことは可能だと思うのです。神話を破壊するのは事実と行動だと思うんです。事実を情報公開でどんどん出して、宮城県はこの程度のことしか報告されていない。何だと。これであなた方は県民に対して安全が保証できるのかという形の突き上げが、やっぱり今まで足りなかっただろうというふうに思うんです。そういう形で努力していきたいというふうに思いますので、また東京の皆さんにもご協力をいただくことがあるかと思います。よろしくお願いしたいと思います。
ちょうど時間になりました。よろしいでしょうか。どうもありがとうございました。(拍手)