自由とわがままの境に
障害のある娘は地域の中学校の「特別支援学級(・・)」に通っていた。
中学に入ると、数々の校則やきまりがあって、これが娘にはことごとく合わなかった。靴下は無地、色は白、黒、紺。下着は無地。髪ゴムも黒。身だしなみをキチンと。入学式の日に保護者にも事細かく説明された。
娘は感覚過敏症(※)なので、特に着替えが苦手。こだわりがあって例えば、靴下の縫い目を足の決まった位置に合わせないと気が済まない。合わないとイライラして何ごとも進まなくなる。せっかく着た制服まで不快と感じて、ぜんぶ脱いでしまったりする。本人はとてもつらいらしい。
ふと振り返れば笑えるけれど、忙しい朝は毎度、家族みんなを巻き込んで修羅場と化す。
(※感覚過敏症:光や音、特定の匂い、触覚に過敏になりすぎて不快感maxになること)
先生から見て、キチンとできない娘の身だしなみは、度々修正され、ブラウスの第一ボタンが止められないということでわざわざ安全ピンでとめられて帰ってくることもあった。先生に聞くと「男子の目があるから」とのこと。
他にも特性上どうにもならないことが多く、親としてもサポートが大変だったので、事あるごとに学校側と話し合ってきたけれど、「他の生徒との兼ね合い」を理由に叶わないことが多かった。
中学校時代のある日、娘は家で「ごせんごれい、1234…」と深々頭を下げてお辞儀をするようになった。なんのこと??…(笑)と思っていたら、学校で「語先語礼」(あいさつの言葉が先、お辞儀は後)というマナーを特訓されていた。
先生が貼ったテープの上に足を揃えて、おはようございます 1234…。間違えたらやり直し!職員室のドアをノックするところからはじめる。
不器用な娘にとってこのような空気の学校はストレス生産工場。学校の細かい謎ルールと合わない(できない)ことが多かった。他にもいろいろなことがあって、あぁ、合わないなとこの学校に通うのをやめた。
学校には謎のルールや古い習慣がたくさんある。しかも、このルールはあいまいな根拠のもとに今でも驚くほどそのまま引き継がれている。合わないと「規格外」になりがち。
中学3年生から「特別支援学校(・・)」に転校すると一変、全く違う世界だった。
話せば先生は相談に応じてくれるし、どうしたら本人が安心して快適に学校生活を送れるか、一緒に模索してくれるようになった。小さなことまで交渉を重ねなければいけなかった苦労から解放されて、親としてもかなり気が楽になった。
少し前に、多様性の尊重がテーマのミュージカル「キンキーブーツ」を観に行く機会があった。この作品は、「違いを恐れないで」、「あるがままの他人を受け入れて」というメッセージが作品の中で深く伝えられている。みんながやさしくて一生懸命。認め合うことへの安心感に包まれた。こんなやさしい世界、いいなぁ~。じーん…と感動する時間だった。
「あたりまえ」だと思っていることや「常識的」とされていることが、誰かにとっては苦痛になることがある。わがままと捉えられることもあるけれど、他人への大きな迷惑につながらないことは認めあえる世の中になるといいなと心から思う。
せっかく購入したランドセルも制服も身につけられなかった娘は、今年から高校生になった。今では着心地のよいジャージ上下と唯一履けるカラフルな靴下を履いて登校している。