コリアンレポート②:ある闘いの真実
1 イントロダクション
南営駅近く、救急車が疾走する。救急車には医師と看護師が乗せられており、カーテンで外が見えないようにされている。医師が外を見ようとすると同乗している治安本部の職員に止められる。救急車は黒い建物に到着する。医師らは暗い色合いの有孔ボードの部屋に通される。そこには、ずぶ濡れで裸のまま横たわり動かなくなった人物がおり、職員が必死に心肺マッサージをしていた。医師は彼の瞳孔と心音を確認し、「手遅れです」と職員らに告げる。職員から「生き返らせろ」と言われ、医師は蘇生を試みるが、それが無理であることを告げる。
2 映画『1987、ある闘いの真実』
これは映画『1987、ある闘いの真実』(2017年韓国制作)の冒頭シーンです。この映画は1987年1月14日に発生したソウル大生・朴鍾哲(パク・ジョンチョル)の拷問致死事件から、同年6月9日に発生した、警察の放った催涙弾がヨンセ大生・李韓烈(イ・ハニョル)に当たった事件、その後の全斗煥(チョン・ドファン)政権による民主化宣言までの「6月民主抗争」を、ほぼ実際の出来事のとおりに忠実に描いています。
冒頭のシーンは、朴鍾哲が拷問を受け、殺された直後の場面です。その部屋があったのが、南営洞(ナミョンドン)にある治安本部対共分室です。
3 南営洞治安本部対共分室
この建物は、周囲には「海洋研究所」と名乗り、警察組織の建物ではないことを表向きとしていました。そのため、敷地内にはテニスコートも用意されており、そこに勤務する職員らはテニスもしていたそうです。
建物はもともと5階建てで、途中から6階と7階が増築されました。各階の窓は大きくとられているものの、5階のみ極端に窓が小さく作られています。これらは、外から中が見えないようにするとともに、5階にある尋問室から外が見えないようにするためでした。
そして、建物は高い塀と有刺鉄線で取り囲まれ、正面入り口にはモーターで動く黒い鉄製の大きな門扉がありました。その門扉が動く音は重厚で、連行された人々に恐怖を与えるには十分であったということです。
ここに連れてこられた人々は、目隠しをされたまま、建物の裏に回され、敷地外から建物内部が見えないようになっている裏口を通り、尋問室のある5階まで直結した螺旋階段を登らされ、全15室ある尋問室のいずれかに連れていかれていきました。15室は廊下を挟んで設けられていますが、その出入口は互いにドアを開けても見えないように出入口が互い違いになるよう設けられていました。連行された者は目隠しをされて螺旋階段をのぼるため、方向感覚が失われるので、自身が何階にいるのかわからなくなってしまうということだったそうです。中には、5階に連れてこられているにもかかわらず、地下に連れられて行ったと証言する者もいたそうです。

各尋問室は、隠しカメラや隠しマイクが仕掛けられ、尋問室内のトイレで用を足すときも風呂に入る時も、その様子が監視されていました。また、各尋問室の壁は有孔ボードで低音のみ吸収する造りとなっており、拷問を受けた際の悲鳴は他の尋問室に届き、連行された者を恐怖に陥れたといいます。
4 朴鍾哲拷問致死事件
朴鍾哲は、この尋問室の一室、509号室に1987年1月13日深夜に連れてこられました。警察官から指名手配中の知人の所在を問われましたが、彼は黙秘したため、殴打、電気責め、水責めといった拷問を受けることとなりました。翌14日午前11時ごろ、彼は、治安本部の警察官ら5人に手足と頭を抑えられ、水をためた浴槽に何度も頭を浸けられる中で、浴槽の縁で胸部を圧迫され窒息しました。
治安本部はこの事件の隠ぺいを図ろうとして、遺体を家族に対面させずにそのまま火葬しようとしましたが、それに疑問を持った検察の崔桓(チェ・ファン)公安部長は拷問致死を疑い、遺体の保存と司法解剖を指示したのです。
他方で、事件当日に治安本部から現場に呼ばれたオ・ヨンサン医師は、拷問による死であることに感づき、死亡診断書を「死因不詳」と書き、中央日報の記者に取り調べ中に大学生が死亡したことを告げました。

死亡診断書(死体検案書)
1月15日、捜査中の大学生がショック死したと中央日報が報道すると、19日、治安本部は現場にいた5人の警察官のうち、2人をスケープゴートとして逮捕し、事件の鎮静化を図ろうとしました。
しかし、その2人が収監された刑務所で、その2人と同僚の面会に立ち会った刑務官らが、事件にはほかに3人が関与していたことを知り、その情報を収監中の民主運動活動家と外部の神父を通じて、外へと伝えていきました。
その情報を得た金勝勲(キム・スンフン)神父が、5月18日、明洞聖堂で行われた光州事件追悼ミサで真相を発表したのです。それにより、3人が追加で逮捕され、警察上層部も犯人隠避の罪で逮捕者を出すこととなりました。

光州事件追悼ミサで朴鍾哲拷問致死事件の真相を公表する金勝勲神父
この事件は、当時の恐怖の対象である治安本部対共分室の行いに対し、多くの人々が疑問を持ち、そして、多くの人々の協力で世間に事件の真相が明らかにされたものであり、6月民主抗争へとつながっていくターニングポイントとなった事件です。
5 民主人権記念館
朴鍾哲が拷問を受けた現場が、現在は民主人権記念館の展示として、その当時のまま保存されています。今回の自由法曹団・韓国訪問団は、2025年3月25日の午後、ここを訪れました。
この施設は多くの人々が連行され、拷問を受けた場所ですが、とりわけ、その当時のままである509号室だけは空気が異なっているように感じました。
朴鍾哲拷問致死事件のことを知り、映画『1987、ある闘いの真実』を観てからここを訪れると、この部屋がどれほど重い意味合いを持つのかがよく理解できます。無実の何もしていない若者が公権力の暴力により、短い人生を終えた場所であり、韓国でそれまで続いていた軍政の終止符へ向けた動きが始まった場所でもあります。

保存されている509号室。奥にある浴槽で、朴鍾哲が水拷問を受け、死亡した。
ひとつ下の4階には、彼の拷問致死事件の発生時から、6月29日の民主化宣言までの新聞記事、写真などが展示されていて、当時の映像もモニターで流れています。
民主人権記念館は、2025年6月10日にリニューアルオープンされ、展示の模様替えと新規展示が加えられました。もともとの「黒い建物」内の展示のほか、新館では韓国の民主化運動をまとめた展示が作られています。こちらの展示は、韓国語だけでなく、中国語、英語、ロシア語、日本語での表記もできるようになっており、大韓民国が建国されて以降、1987年の民主化までの市民による民主化を求めた動き、それに対する政府の弾圧を時系列に沿って理解できるものとなっています。
2024年12月3日、尹錫悦・元大統領は44年ぶりに戒厳令を出しましたが、その解除を求めて多くの市民が国会議事堂前に集まり、その横暴にストップをかけることができました。それがなぜできたのか、それを理解するために是非この施設を訪れてほしいと思います。
韓国の独立から80年代までの民主化を求めてきたこれまでの歴史、民主化を求める民衆の力強いエネルギーがあったからこそであり、そのエネルギーと歴史がここの施設では紹介されています。
映画『1987年、ある闘いの真実』のエンディングロールでは、6月民主抗争の実際の映像が流れてきます。その映像を見れば、誰もが心の中に何か燃え上がるものを感じることになると思いますし、尹・元大統領の弾劾審判へと繋がるエネルギーを感じることができると思います。この施設と合わせて、是非ともこの映画も鑑賞してほしいと思います。











