コラム13:危機の場面で
2011.3 弁護士 宮本 康昭
東北地方で大震災に遭遇した被災者の人たちへの外国メディアからの賛嘆の声が絶えません(2011年3月16日付『朝日新聞』「ザ・コラム」など)。
「あの極限状況の中で救援物資に群がり奪いあうこともない」「節度を失わずじっと列を作って順番を待っている」「信号の消えた交差点で車は互いに道を譲りあって進んでいた」。一様に日本人はこのような場面でも冷静で平常心を失わない国民なのだ、と手ばなしの評価です。
私も災害にあった人たちの、悲嘆も怒りも抑制して気丈に現実に立ち向かおうとする姿に、実に崇高なものを感じます。
何もかも足りないところなのに、配られた物を自分はいいからと他の人にまわす人や、自分自身も家族の行方がわからないのに、避難所の人たちの世話で走りまわっている自治体の職員や、病院の看護師たちがいくらでもいるのです。
宮脇俊三は終戦の勅語を聞いた直後、東北地方の小さな駅で定時に列車が到着したのを見て、全国民が茫然自失していると思っていたのに、いつもと同じように列車を運転する機関士がいることに感嘆していますし、東京医専の学生だった山田風太郎は、その厖大な日記の中のその同じ日に、同じ時刻、悲嘆にくれながら寮に帰ると、まかないのおばさんがいつもと同じ夕食のおかずの菜をコトコトと刻み続けているのを見てびっくりします。
危機の場面で平常心を失わず、沈着に行動できる人々に、気高いものを感じます。
一方で危機のときにこそ、その本来の姿があらわれたり、その存在が試されたりということもあるようです。
異物混入に苦悩する雪印の社長は閉まりかけたエレベーターの中から「ゆうべオレは寝ていないんだ」と言い放ったのが、記者に「何を言ってるんですか、われわれも寝ていませんよ」と言い返され、その一言で社長の椅子を失い、会社も営業閉鎖に追いこまれたのでした。
今度の震災でも1つの病院から、三ヶ所にわかれて避難した先で、あわせて21人の入院患者が死亡するということがありました。避難先で患者たちを診た医師が「そこには1人の医師も付き添っておらず、患者の病名やその氏名すらわからなかった」と言っていました。その病院の院長は自衛隊に助けを求めに行ったが戻るのはもう危ないと言われたので戻らなかったのだ、と述べていますが、刑事責任のことはともかくとしても、患者を見殺しにしたという事実は動かすことができないので、院長さんの社会的な評価は、そこできまってしまったのでしょう。
五重のフェイルセーフを誇る東電福島原発は、その誇るべき防護策が停電に対処するすべがないという単純な事実によって無に帰して、大きな事故をもたらしてしまいましたが、そのことはさておき、そのときの東電の対応も、知らせない、はっきりさせない、引き延ばす、をすべての人が注視する中でやることによって、東電の体質はこんなものかと全世界の人々に印象づけることになってしまいました。1号炉で炸裂が起こり、白煙が上がって建屋の外壁が潰れ落ちて鉄骨がむき出しになるのをテレビの映像で全国がリアルタイムで見ているのに、その2時間後になって「1号炉で何らかの異常事象があったようだ」と発表するというのは、実に象徴的な出来事でした。
そう言えば、危機の場面で平常心を失わず気高くさえあるのはきまって一般市民、いわゆる庶民と呼ばれる人たち。社会的な肩書があり、社会にその存在を誇っている者達は、そんな時それがもしかしたら邪魔をして来るのでしょうか。
レベッカ・ソルニットはその著書『災害ユートピア』(私はまだ読んでいませんが)の中で「パニックに陥るのはエリート層」と言っているそうです。