コラム7:基地がいらない世の中を!
2010.5 事務局員 森元 衆代
4月9日、「広島の『父と暮らせば』、長崎の『母と暮らせば』の2本立てを核保有国で上演してまわるのが私の願いです」と長崎で話された井上ひさしさんが逝かれた。
新作芝居の脚本が間に合わず、チケット販売後に延期や休演になることもあったけれど、作品の魅力に惹かれてこまつ座に通った。山形の川西町フレンドリープラザやシベールアリーナの遅筆堂文庫の大量かつ多岐にわたる分野の蔵書(作品の資料)にも驚かされた。小説「吉里吉里人」も楽しかった。
移動演劇さくら隊を材にした「紙屋町さくらホテル」や市井の人々の生活を描いた「きらめく星座」等の昭和庶民伝三部作等々、9条の会の呼びかけ人でもあった氏の鎮魂と平和への希求が伝わる作品群に励まされもした。
「兄おとうと」の吉野作造、「シャンハイムーン」の魯迅、「太鼓たたいて笛吹いて」の林芙美子、「虐殺組曲」の小林多喜二等、多くの評伝劇も興味深く、小・中学生の頃に見た「ひょっこりひょうたん島」の記憶とともに、印象に残っている。
『母と暮らせば』は幻の作品となってしまったけれど、氏の思いの先「核兵器廃絶」を私なりに実践して行けたらと考えている。
世界一危険な飛行場、沖縄普天間の返還が日米特別行動委員会で合意されてから13年が過ぎ、「辺野古の海に基地はいらない!」を合い言葉に、その座り込みは2200日を超え、7年目に入っている。県議会の呼びかけを契機に県知事・県内41市町村の全ての首長が出席した参加者9万人の4.25沖縄県民大会。「新基地はいらない、米軍基地をなくせ!」の声を聞かず、「国外、最低でも県外」という公約を反古にし「抑止力」の名の下、ジュゴンの海を埋め立てようとする鳩山内閣。
アメリカ議会で「歓迎されないところには基地は置かない」という米軍の基本方針が示され、「海兵隊は攻撃部隊で、日本を守るために配置されているのではない」と明言されている。政府が沖縄返還38年の今交渉すべき相手は、徳之島の住民や沖縄県民ではなくアメリカ政府であり、国として自主自立の立場から対等に軍司同盟でない関係を議論すべきだと思う。
4.18米軍基地徳之島移設断固反対1万人集会に、「基地に頼らず自立による島の将来を自分たちの手でつくろう」と島民26000人の徳之島で15000人が参加した。徳之島町長の「私たちの反対運動は沖縄に負担してくれとは言っていない。日本全国で基地がいらない世の中をつくる責務を持っている」という言葉に説得力がある。
「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く・・・」と言葉の力を信じていた井上さんは、この沖縄の状況をどう表現するだろうか。沖縄戦を取り上げた未完の戯曲「木の上の軍隊」を観られないのが残念である。