『甲子園』
第107回の高校野球は、沖縄尚学高校が西東京の日大三高に勝ち、夏の大会では初の優勝を果たしました。沖縄では大フィーバーがおこっています。
毎年色々なドラマが生まれる甲子園。今年は息子が高校三年生の年で、一緒に野球をやってきた仲間たちの活躍を見られる最後の年だったこともあり、地方予選から胸を熱くしてみていました。
2023年には慶應義塾高校が107年ぶりに優勝し、そのスタイルは「エンジョイ・ベースボール」として注目されたのも記憶に新しいところです。これは単に「楽しむ」というだけでなく、選手が自ら主体的に考え、より高いレベルでの野球を「楽しむ」ために辛い練習を乗り越えることを意味するようです。慶應は、常識にとらわれず、選手が髪型などにも自由な校風のもと、自主性を重んじ、主体的に野球と向き合うことで、日本一という目標を達成しました。 この大会にも私はどハマりし、最後には慶應の校歌をテレビ越しに一緒に歌えるようになっていたほどでした。
慶應旋風以降、高校球児=坊主、坊主じゃないと強くなれないというようなイメージが少しは和らいだように感じていましたが、全国的にみると半数くらいは髪型は自由、しかし2025年甲子園出場校でみると、8割強が坊主でした。校則では決められてはいないけれど、『選手が自主的に』坊主にするとういう高校も多いようです。これも自主性なのでしょうか。
甲子園といえば、試合開始や終了のサイレンも印象的です。私はTBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』が好きでよく聞くのですが、「高校野球のサイレンは場内アナウンス係の女性のウグイス嬢が声で出しているとずっと思っていた」とリスナーから届いたエピソードが以前紹介され、これには驚かされました。安住さん曰く、同じような勘違いをしている人がものすごくたくさんいるらしいのです。
これは興味深いと思いまして、なんとなく聞いていたサイレンについて今年の夏は改めて注目してみました。
サイレンには「試合開始や終了を知らせる音」と、「8月15日正午の黙祷に際して鳴らされる音」の2つの意味があります。後者は戦争の犠牲者を追悼し、平和を願う意味が込められた特別な音なのです。
終戦の日の8月15日、高校球児の聖地が平和への祈りに包まれる日です。甲子園球場では毎年正午に試合が止まり、グラウンドで選手・審判、スタンドでは観客が、目を閉じて黙とうをささげる。静寂の中でサイレンだけが鳴り響く時間は、1963年の第45回大会に始まり、60年以上粛々と引き継がれてきました。
戦後、沖縄の野球を全国レベルに引き上げる功績をあげた沖縄水産高の栽弘義監督の背中には、戦火で焼かれた大きなやけどの痕が残っていたそうです。
野球には、「1死」「2死」「3重殺」「刺殺」「補殺」など、文字にしてみるととても恐ろしい用語がならびます。それと平和なゲームとの差を楽しむことができる今の幸せ。また同時に、甲子園のサイレンに、空襲警報を連想する方が存在するのも事実のようで、忘れないでおきたいことですね。
戦後80年・・。未だに世界中で戦争がおこり、子どもたちも傷ついている現状。
この年に沖縄商学が優勝したことも、今を生きる私たちにとってあらためて考える機会を与えてもらえたのではないでしょうか。