コラム37:本来の「積極的平和」
2014.9.30 事務局員 森元 衆代
久しぶりにブレヒトの三文オペラ(谷川道子新訳)を観ました。失業者の増大やナチスの台頭といった政治的な緊張の高まるドイツでその反骨精神が受け、1928年の初演から3年の間に4千回以上の上演記録を持つ戯曲です。市民に民主主義的な政治参加の方法などがなかったビクトリア朝時代のロンドンが舞台。捕らえられた盗賊団のボス・メッキースが、女王の戴冠式よりも彼を見ようと集まった乞食や娼婦、泥棒等の大勢の市井の人々を前に絞首台から演説します。「私はここに、没落しつつある階級の没落しつつある代表者として立っております。市民階級の端くれであるわれわれ手工業の職人は堅固なヤットコなどを使って、中小企業のニッケル製の金庫をこじ開けるような慎ましい仕事をしているうちに、大企業に飲み込まれてしまいます。大企業の背後には銀行が控えております。銀行の株券に比べれば、こそ泥の合鍵など何ほどのものでありましょう。銀行設立に比べれば、銀行強盗などいかほどの罪でしょうか。(後略)」。耳に残る台詞でした。
9月18日実施のスコットランドの独立の是非を問う住民投票の投票率は86.4%。16歳以上の若者が参加でき、有権者登録者約430万人のうち、18歳未満は11万人で16歳・17歳の9割が投票したそうです。YES・NOの結果はともかく、貧困・格差是正、地方分権等、自らの未来を多くの人が考え、議論し、関わってこそ民主主義。先進的なスコットランド認知症プログラムも「当事者抜きで勝手に決めないで」「認知症の人が社会的に声をあげる。認知症の人と家族の暮らしに関わる公的政策に影響を与える。」という働きかけがあったればこそとのこと。40年以上も前「イギリスにおける小選挙区制」を勉強した時、仕事帰りにパブで3人集まれば政治の話という風土と知りました。
時の政府の閣議決定、解釈で憲法を変えてしまおうとする日本の国。国際政治(平和学)でいう本来の「積極的平和」=「戦争がないだけでなく、貧困・差別など社会的構造から発生する暴力がない状態」を実現したいと私は痛切に思います。それも対話や協力など非暴力的な手段で新たに創造していく道をともに選び取りたいものです。安倍首相が繰り返し主張する「国際協調主義に基づく積極的平和主義」ではなく………